冬のイエローナイフの服装について

「舌を肥やすな、メシがまずくなるぞ」←本当にそうだろうか?

最近ネットで読んだ記事に、「舌を肥やすな、メシがまずくなるぞ」という内容が書かれていた。(出典は忘れたけど、たしか西村ひろゆきさんの記事)

美味しいもの(ここでは高級な食材を手間を掛けてつくった料理のことを指す)ばかり食べていると、普通のものを食べても感動しなくなる、ということです。

あ~、なるほど。確かにその通りだ。一貫1,000円とかする寿司を食べる人は「回転寿司?あんなもん寿司じゃない」と思うらしい。一方、僕が日本に帰ったときに食べるスシローは、涙が出ちゃうほどおいしく感じる。

もちろん、高級な寿司がそれ以上に美味しいこともわかっているけど、その美味しさのレベルが標準になってしまうと、それ以下の寿司が食べられなくなる。

寿司にかかわらず世の中の食べ物のレベルはそんなに美味しくないのだから、相対的に「メシがまずくなる」というわけだ。

だけど、もうちょっと深掘りして考えたら、「アレ?ほんとにそうか?」と思った。この話、なにも食べ物に限ったことではないのです。

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例えば、寿司をサッカーに置き換えて考えてみる。サッカーを続けると体力や技術が向上する。才能のある人はJリーグでプロになったり、海外で活躍する。

当たり前だけど、そういう選手は草サッカーチームと試合をしても楽しめない。技術レベルが違うからだ。でもプロ選手に、「うまくなるな、下手な人とサッカーを楽しめなくなるぞ」という人はまずいないだろう。

サッカーにはプロリーグがあるから下手な人と試合をする必要はないのだけど、ここで言いたいのはそういうことではない。

下手だとしても、草サッカーチームがあるという状況がサッカー文化のレベルの高さなのだということ。草サッカーチームができるくらい、サッカーという文化の裾(すその)の広さがプロリーグを支えているのだ。

そして、トップ選手がより上を目指そうと切磋琢磨するエネルギーは、その下のレベルの人たちに影響し、文化全体のレベルの向上につながっている。ということだ。

単純にサッカーを楽しむという意味では、プロ選手も趣味の草サッカープレイヤーも、同じように楽しんでいると思う。もしかしたら悩みが少ない分、草サッカーの方が楽しめるかもしれない。

それでも、トップ選手が上を目指すから、サッカーという文化がここまで大きく育まれてきたのだと思う。

これはサッカーだけに限らず、すべての文化にいえることではないだろうか。サッカーを別の何かに置き換えても同じことが言える。人間には、何ごとに対しても上へ上へと目指すよう、DNAに刻まれているのかもしれない。

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話が壮大になりすぎたので、寿司の話に戻します。

一流の寿司職人が、美味しい寿司をにぎるという行為は、ぼくが食べるスシローの美味しさ水準に影響する。なぜなら文化というのは、「高みを目指す人達がいるからこそ、その水準が上がっていく」のだから。

つまり、「舌を肥やすな、メシがまずくなるぞ」という思想をすべての人が持ってしまったら、メシはどんどん不味くなってしまうかもしれないのだ。

・・と、ここまで書いて気づいた。ぼくには高級料理を日常的に食べる財力がないから舌が肥えることはないのでした。(´・_・`)チーン