ここ数年、ずっと楽しみにしていた角幡唯介さんの新作「極夜行」を読了。
この単行本が出るまで、雑誌コラムやウェブ連載、twitterにいたるまで様々な媒体で角幡さんの情報を追いかけてきたので、とても長い時間をかけて読みすすめてきたような気がする。読み終わったことが嬉しいような、寂しいような。
とりあえず、感想とか書いてみる。
極夜行とは。角幡唯一とは。
極夜とは、極圏(北極、南極)において、冬至をはさんで太陽が地平線上に出てこない期間のことを言う。
「極夜行」はそのタイトルの通り、著者の角幡唯介さんが太陽の登らない冬のグリーンランドを、徒歩で橇を引きながら探検をした内容をまとめたノンフィクション。
地理的な空白部分がなくなった現代において、探検という行為は成立するのか? という疑問に対し、角幡さんが出した答えは極夜の北極圏を旅することだった。
角幡さんは今回の極夜探検の前にインタビューで以下のようなことを話している。
今回の探検は別に地理的に未踏の地に行くわけではなく 、ル ートは昔から何人もの探検家が歩いた場所だし 、伝統的なイヌイットの人たちの狩猟のフィ ールドでもある 。つまり地理的には人跡未踏でも何でもなくて手垢のついた場所です 。でも冬の太陽が昇らない長い極夜という観点で見れば 、そこには新しい未知が生まれる 。北緯八十度近辺だと四カ月ほど極夜の時期はつづくんですが 、その長い夜に何カ月も旅した記録はほとんど見当たらない 。ぼくらの普段の日常では太陽があるのが当たり前だし 、普段 、太陽のことなんて意識もしないですが 、それだけに太陽が昇らない世界というのは想像を絶するわけで 、そこにぼくは根源的な未知の可能性を感じるんです 。
これを読んだだけで、角幡唯一さんの考え方の独自性に圧倒される。そして、その考えを実行してしまう行動力。表現者で有る前に行動者として一流。しかし最先端とはちょっとズレた、誰も目指す人がいない地平にいる人なのだ。
シリアスな内容とコミカルな文体
角幡さんの本は、シリアスな文体のものと、コミカルな文体のものに分けられる。
角幡さんはこれまでの著作で、正統派探検モノではシリアスな文体を貫き、探検のサイドストーリーをエッセイやコラムなどでコミカルに表現してきた。(と、僕は感じている)
「空白の五マイル」「アグルーカの行方」「漂流」などは、重厚で読み応えがあり、「探検家36歳の憂鬱」「探検家の日々本本」などは笑いながら気軽に読める。どちらも読み物として面白く、それぞれ別の良さがある。
極夜行は、極夜を旅する探検モノだから当然シリアスでくるだろうと思っていた。が、読んでみると意外にもコミカルな文体が多い。というより、完全に読者を笑わせにかかっている。下ネタも多い。
個人的には角幡さんのコミカルな文体が好きなので、これは嬉しい誤算だった。(前作の漂流があまりに笑いの要素が少なくて若干読むのが辛かったのもある)なにしろ、凍死してしまうくらの厳寒の北極圏で、しかも真っ暗な極夜が舞台なのだ。どうしても陰気な内容を想像してしまう。
もちろん内容自体は正統派探検モノなので、全部が笑えるような文章ではない。相変わらず哲学的で思慮深く、ハっとさせられる部分も多い。ネタバレになるので詳しくは書けないけど、死がよぎるような窮地に陥ったりもする。そんな状況でシリアスとコミカルが絶妙に織り交ざり、角幡ワールドに引き込まれていくのだ。
そこにはまるで、20年前のダウンタウンのコントのような緊張と緩和が存在し、読み始めたら意識的に止めないと徹夜してしまうくらい面白いのだ。
極夜の果てに昇る太陽とは
極夜の果てに昇る最初の太陽を見たとき 、人は何を思うのか ─ ─ 。
これは極夜探検をするうえで角幡さんにとって大きなテーマで、探検の計画段階から繰り返してきた言葉だ。
実をいうと、本を読む前からこの「極夜の果てに登る太陽」というものに違和感があった。
極夜はいきなり明けるわけではない。毎日少しずつ、地平線に近づいてくる。太陽が実際に顔を出さなくても、地平線のごく近い下あたりまで昇れば、空は明るくなる。
つまり、極夜はいきなり終わないので、真っ暗な極夜が続いて、ある日いきなり明るい太陽を見る、というのはなんだか不自然な気がするのだ。
では角幡さんは、いったいどの段階で「極夜の果てに登る太陽」を見るのだろう。気象学的に極夜が明けた瞬間(だろうか、それとも、もっと抽象的な太陽を見るのか・・。
と、そんな風にちょっと斜めに構えて読んでしまっていたけど、よけいな疑問でした。クライマックスで角幡さんは、確かに太陽を見た。読者をも震えさせるような、本物の太陽を。
文春オンラインWeb連載でも読める「私は太陽を見た」
この旅の内容は、文春オンラインのWeb連載「私は太陽を見た」でも読むことができます。
極夜行発売前からこの連載はスタートしていたけれど、僕はあえて読まないでおいた。やはり完全版というか、ちゃんとした単行本(Kindle版だけど)のかたちで腰をすえて読みたかったからだ。
ちなみに文春オンラインの連載では、闇とは何か、月とは太陽とは光とは何か、そのへんのことは省いているので。単行本のほうに全部書いてるので。よろしく。
— 角幡唯介 (@kakuhatayusuke) 2018年1月12日
極夜行を読み終えて、Web連載「私は太陽を見た」(全34回)を流し読みしてみると、タダでこんな内容読めちゃっていいの?!と思ってしまうくらいのボリュームだった。もちろん単行本ほどではないけど、角幡さんの本を読んだことのない人には気軽に薦められるのがイイ。できることなら文春オンラインには、「私は太陽を見た」を永久にコンテンツとして残してもらいたいなあ。
ちなみに、極夜行を読んだ後でも、写真や動画がたくさん載っているので楽しめた。グリーンランドの地図もついているので、視覚的にイメージしやすいのもGOOD。
極夜行を読んだ人も、まだ読んでいない人も楽しめると思います。
さいごに
文句なしの☆5つ。2018年のベスト本が早くも決まってしまった感がある。
角幡さん、こんなに面白い本を読ませてくれてありがとうございました。次の作品も楽しみにしています。
twitterからいくつか感想を引用
今年の8冊目は角幡唯介さんの新刊「極夜行」。最初に「極夜」(白夜の反対)の北極圏の探検をすると知ったとき、なんつー地味で苦行な旅なんだ、きっと読むのも辛いのだろうかも、みたいに思ったけれど、読み始めたらあまりの緊張感と危機の連続を前に、ページを繰る手が止まらない一冊でした。
— 川内有緒(新刊出ました) (@ArioKawauchi) 2018年2月13日
角幡唯介「極夜行」。
極夜の中で混乱を極める描写。
体のどこかにある、何かに呼応して、本を読むことで恐怖を感じるという、はじめての経験をしました。— i (@koichi__dai) 2018年2月12日
続いて、「極夜行」のあとがきを読んだ後に、「空白の5マイル」のプロローグを読む。あぁこれだ。私が惹かれたのはここで書かれた決意だ。それが今回集大成を迎えたわけだ。素晴らしすぎる。
— ようまる (@yomaru_yoyoyo) 2018年2月13日
角幡唯介さんの新刊『極夜行』。以前に比べて自身の内面の掘り下げがものすごい。この境地に達した人って小説家も含めてなかなかいない。深いのになぜか笑える。ほんといろんな意味で奇跡的にすごい本。全部読んでいるがこれが最高傑作だと思う。
— 西牟田靖 (@nishimuta62) 2018年2月10日