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世界一周旅行記のまとめ丨 インド・ネパール編

この記事は、2011〜2013年に海外をフラフラと旅をしていたときの日記と写真を、ムック風にまとめたものです。

当時そこまでアウトドアに興味のなかったぼくは、ヒマラヤ周辺に滞在していたのに、ほとんどトレッキングをしなかった。一応アンナプルナベースキャンプまでは行ったけどそこまで楽しめなかったので日記にも書いていない。

今となっては勿体ないことをしたと思うけど、それが時の流れというものでしょうか。人ってけっこう変わるなあ。

Return to the East

中国から西に向かって旅をして半年以上が過ぎていた。

クセのある中央アジアの国々を通ってイスタンブールまでたどり着いた。遠かったヨーロッパはもう、目と鼻の先にある。日本から香港に渡ったときから、飛行機をつかわずに移動してきた。

ルールというほどの決め事にしたわけでわないけれど、陸路を進むことに少しだけこだわりを持って旅をしてきた。実際、とても満足していたし、ちょっと誇らしかったりもした。

けれど、そういう“カッコつけはイスタンブールで捨てることにした。

どうにも東に戻りたい。ネパール、インドという超個性的な国を見ず、このまま西へ向かえるわけがない。

洗練されたヨーロッパはまだ早い。いま一度、アジアの喧騒へ。

 

死体をみたときの話

前日に早く寝たせいか、早朝4時に目が覚めた。

明るくなるまで2時間程あるが、スッキリとした目覚めで二度寝する気にはならない。

なんとなくネパールのガイドブックを開くと、”パシュパティナートというヒンドゥー教寺院について書かれたページが目に止まった。そこでは早朝から巡礼者たちが参拝し、沐浴する姿が見られると書いてあった。二度寝するよりはいいだろうと、フリースにダウンジャケットを着込んで宿を出た。

タクシーをつかまえて15分ほど走ると寺院の入り口がぼんやりと見えてきた。外に出ると、空気は宿のあるタメル地区周辺とは全く違っていた。第六感とかそういうことじゃない。ゴミの匂い、人の匂い、動物の匂い、煙の臭い、そして腐臭だろうか?色々な臭いが混ざりあっているんだろう。 朝露につつまれた寺院が、なんともいえない不思議な空気を漂わせていた。

パシュパティナートは巡礼の地であると同時にヒンドゥー教徒の火葬場でもある。寺院は聖河パグマティにそうように建てられていて、火葬された遺体はパグマティに流される。

僕が着いたとき、まだ火葬ははじまっていなかった。白い布に包まれた遺体が寺院側のガートに横たえてある。大きさからして、おそらく大人の男性の遺体だろう。日本のように棺桶に入ってるわけではなく、コンクリートに布を一枚引き、遺体はただその上に置いてあった。

頭のすぐそばに一本のろうそく。遺族と思われる女性が叫ぶ様に泣いていた。

ヒンドゥー教の考えでは、死は輪廻というサイクルのひとつで、悲しむようなことではない。ということらしいが、そんな思想は号泣する彼女からは全く感じられなかった。

火葬の現場を見る気にはならなかった。家族や友人の気持ちになったら、遊び半分の旅行者に見て欲しくはないだろう。宗教色の強い場所はとても興味深い反面、踏み込みにくい。こういう場所では尚更だ。

挨拶をしていいのだろうか、目が合ったとき笑顔を返してもいいのだろうか。そして、この場所にとって明らかに異物である僕がいていいのだろうか。

数時間後、明るくなったら火葬がはじまるのだろう。考えても仕方ないので、逃げるようにガートを後にした。

ネパールじかん

ポカラでは、とてもゆっくりとした時間を過ごすことができた。

湖のまわりを散歩したり、手漕ぎボートに乗って小島を散策したり。よくわからないヒンドゥーのお祭りに参加したり、ネパール映画を観にいったり。やることが多いようで、どれもやらなくてもいいことだ。

何もしなくてもいいし、何をしたっていい。だからこそひとつひとつ、時間を気にせずにゆっくりと、流れる時間にまかせてポカラの滞在を楽しんだ。

ネパールでは毎日、どの街でも停電する。電力を水力発電に頼るこの国において、すべての地域に24時間電力を供給することはできないらしい。一日に数回、計画停電が行われる。

未発達で不便な国だと思うかもしれないけれど、実はこの停電、あまり苦にならなかった。

停電による一番の影響は灯りがなくなることだったが、蝋燭があれば読書くらいはできる。電熱式のシャワーは、電気がきていたところでたいして熱くならないのだから問題ではないし、インターネットだって24時間使えなくても困ることはない。

旅行者という無責任な立場だからこう考えることができるのかもしれないけれど、ネパールの人々はこの不完全さを当たり前として暮らしている。

停電したら困る、ではなく、停電したってたいして困らない生活、もっといえばそういう社会ができている。もしかしたら、この停電も、ネパール的な時間の流れをつくるひとつの要素なのかもしれない。

お気に入りの国のなかでも、ネパールは万人に勧めやすい良い国だ。そして、もしもこの国を訪れたなら、ただただのんびりと過ごしてほしい。ネパールに流れる、ゆるやかな時間を漂うように。

 

Holy Ganga Holy Varanasi

ネパールから国境を越えダージリンヘ。TATA製のおんぼろバスに揺られ、背にしたヒマラヤはみるみる遠くなっていった。

コルカタ発の夜行列車が、まだ寒い2月のインドをゆっくりと進んでいく。目的地は大降りの雨で、道は泥と動物の糞が混ざって、それはもう酷い状態。

初日からしっかりと洗礼を受け、バラナシでの滞在がはじまりました。

 

この川をなんと呼ぶ?

インドという国に興味がなくたって、誰もが知ってるガンジス川。

中学のときに地理で習ったし、テレビでも聞いたことがあると思う。有名な川ランキングなんてものがあれば上位に入るんじゃないかな?

そしてガンジス川にはもうひとつ、別の呼び方がある。雑誌や小説、ガイドブック、旅で出会ったインド好きの旅行者たちは、この川をこう呼ぶのだ、”ガンガーと。

同じ川のことを指しているのに、受ける印象は少し変わる。たんに地名としてではなく、敬畏や親しみを込めているような。聖なる~、母なる~なんて仰々しい言葉をくつつけたくなるような。そんな不思議な魅力が、なんでかこの川にはあるらしかった。

旅をしているとたまに出会う飽きのこない景色。

東チベットの草原と青い空、サマルカンドのティラカリ・メドレセ。イランのイマームレザー廟でむせび泣く巡礼者たちに、ベルヴェデーレに展示されたクリムトの接吻。

何時間でも飽きずに眺めていられた。けれど、何日もそこにいられるか、何週間も滞在しつづけられるか。と言われると、それはちょっとキビしい。数時間、いいとこ5時間もいれば満足してその場を離れ、新たな土地に期待して旅を続けていくのだ。

そんななか、たったーカ所だけいつまでも離れがたい街があった。

インド北部の都市、バラナシ。人間が、建物が、動物が、あらゆるものがガンガーに引き寄せられるように集まっているヒンドゥー教の聖地。

宿の質は悪く、敷き布団には蟻が這い、夜は蚊の羽音で目が覚める。昼は特に何をするでもなくガートを歩き、疲れていなくても休憩し、チャイを飲む。のんびりと川沿いの景色や人々を眺めていると、いつのまにか日が暮れていく。

何もしない毎日。それなのに何故か飽きがこない。バラナシを離れる気が起きない。この引力がガンガーの持つパワーというやつなのかな。神が宿っているのか、神さえも引き寄せられているのか。どうにも心地よすぎるバラナシ。もうそろそろ移動しないと。あらがえなくなる前に。

バスチケットを買ったのはそう思ってから4日後のこと。出発の日、駅に向かう前に少しだけガートを歩いた。昨日と同じ景色が広がっている。いつのまにか、ガンガーという呼び方がしっくりくるようになっているのでした。

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