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世界一周旅行記のまとめ丨 中央アジア編

この記事は、2011〜2013年に海外をフラフラと旅をしていたときの日記と写真を、ムック風にまとめたものです。

ぼくのスタンプにはトルコの出入国スタンプがたくさん押してある。イランから陸路で入国したときに、それからトルコーインドの往復、トルコからグルジアへの陸路出入国。そして、トルコーブルガリアの出入国。 縁がある国ってことかもしれない。

さて、今回は中央アジアの旅行記です。キルギスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イラン、トルコをまとめました。(地政学的にはイランは中東なのかな、トルコは西アジアか?細かいことは気にしません)

旅と言葉

中国の旅はとても楽しかった。

多くの人が苦手意識を持つ中国を楽しむ事ができたことは嬉しかったし、それは少し誇らしくもあった。けれど、これまでの旅に完全に満足しているかというと、そうでもなかったりする。

カタコトでも中国語が話せたら。

旅をしていてそう思わない日は一日もなかった。もちろん旅行に必要な単語やフレーズ、数字なんかは覚えたけれど、それだけではものたりない。中国ではそんなもどかしさを解消できないまま、ついに国境を越えることになってしまった。

そしてこの先の向かう中央アジアは旧ソ連の国々だ。英語ではなくロシア語が通用するこの地域で、僕はキリル文字という存在すら知らなかった。このままでは中国と同じ思いをすることは必然。それ以前に、食事や移動すらままならない状況になってしまった。

こんなのっぴきならない事情もあり、旅は少し中断。首都ビシュケクにある語学学校で、ロシア語の勉強をすることにした。

僕が通ったロンドンスクールという名前の学校は、キルギス人が英語を学ぶための場所。ただ、稀に僕のような外国人がロシア語を習いにくるらしく、専用のロシア語ビギナーコ―スが用意されていた。授業は先生とマンツーマン、説明は英語。

果たして、少しは話せるようになるんだろうか・・・。

 

異国の生活

ビシュケクでの滞在は今までとは違ったものになった。

宿にはつかいやすいキッチンがあったので、ほとんど毎日が自炊。当然食材の買い出しも必要で、宿の近くのオルトサイ・バザールという市場に通っていた。

ビシュケクはイスラム教徒の多い街だけど、ロシア人、や韓国人、中国人も多く、豚肉を買うことが出来る。少し値は張るけど、ロシア系の美人のお姉さんが売っているベーコンは格別に美味しかった。

美人といえばトマト売り場の女の子。めったに表情をかえず、つっけんどんな接客だったど、ごく稀にみせてくれるはにかんだような笑顔がかわいくて、今日は木曜日だから彼女が売り子をしているはず、なんてバカな期待を抱きながら買いものをしていた。

忘れてはいけないのがスイーツ。ビシュケクのスイーツの味はレベルが高く、絶妙な甘さのクリームの詰まったナポレオン(ミルフィーユのようなお菓子)や、イチゴがたっぷりのったタルトを50円くらいで買うことができる。どこのお店のスイーツが美味しいのか食べ比べるという、まるで東京のOLのようなことをしていた。

夕飯では外で食べることの出来ない日本食をよく作ったけれど、中央アジアの麺料理、ラグマンの味を再現しようとあれやこれや試行錯誤したりもした。こういうのも長期滞在ならではの楽しみ方だ。

旅から離れても、外国の日常はとても刺激的だった。覚えのわるい僕が覚えたロシア語は、もっぱら買い物をするときにつかうフレーズと、野菜や肉の名前ばかり。こんなことで次の国でちゃんと旅していけるのかと思いながら、気ままなビシュケク生活を続けるうちに、いつのまにか季節は冬になっていた。

ビザ無しで滞在できる60日はとっくに過ぎている。どうやら、そろそろ旅を再開させるときらしい。

 

Journey on the Silk Road

ユーラシア大陸を旅するのなら、シルクロードをすすみたかった。飛行機ではなく、陸路で。ひとつひとつ国境を越えて。日本から離れて6ヶ月、ウズベキスタンにたどりついた。1 1月の中央アジアは空気さえも凍るよう。古都サマルカンドは冬をむかえ、雪に包まれていた。


20日以上待って許可された滞在日数は5日間。トランジット(通過)ビザ。イランヘ抜けるために必要な最低限。観光なんてまともにさせてもらえない国。つい最近、2006年まで独裁政治が行われていたんだとか。トルクメニスタン、謎の国です。

 

寒さ爺さんと雪の精。

とにかく時間がなかった。

ウズベキスタンでの移動がトラブってしまい入国が一日遅れ、首都アシガバードに着いたのは三日目の夜。五日目は出国するために移動しなければいけない。つまり、この国で自由に動けるのはあと一日だけになってしまったのだ。

せめてあと一日あればメルヴ遺跡へ行くことが出来たかも・・・。なんてタラレバを思う時間だってもったいない。朝早く宿を出て、街へくりだした。

アシガバード、ヘンテコな街並みだ。走っている自動車の数にたいして広過ぎる道路。大理石の建物が立ち並ぶ通りには、不自然なほどひとっ気がない。謎の国トルクメニスタンの首都は、やはり謎めいた街だった。

いったいこの街の人はどこで何をしているんだろう? 散策がてら腹ごしらえをしようとバスに乗ってバザールに向う途中、外から音楽が聞こえてきた。白い衣装を身にまとい、人々が広場に集まっている。通りの反対側にも行列が。

街にひとけがなかったのはこのせいだったのだろうか?アシガバード中の人が集まっているみたいな人だかりができていた。今日はトルクメニスタンのお祭、旧ソ連圏ではポピュラーな、新年の訪れを祝う日(12月に前祝いで行う)で、ジェドマロース(寒さ爺さん)とスネグラーチカ(雪の精)がアシガバード中をパレードするということだった。

お祭り騒ぎで盛り上がる人たちは、写真を撮ってとせがんでくる。子どもも大人も遠慮無しにポーズを決めていた。国は特殊でも、人々は中央アジアらしいフレンドリーな性格だ。馬車に乗ったスネグラーチカも、僕に手招きし写真を撮ってと笑顔をみせる。

予備のバッテリーが空になるころ、お祭りは終わり、辺りは薄暗くなっていた。

4日間という超短期のトルクメニスタン滞在を終え、明日は朝からイランに向かう。それは、ロシア語の通じる国を離れるということだ。決して上手く話すことができるわけではないけれど、せっかく覚えた言葉をつかえなくなるのはさみしかった。

次の国へ向かう期待よりも去る国への想いが強いとき、国境を越える瞬間なんともいえない複雑な気持ちになる。旅情というのは、こういう感情のことをいうんだろうか。

 

More Deeply to the Islamic World

国境を越え、イランに入国すると、すぐに乗合タクシーに乗り込んだ。

イラン人のドライバーが運転する砂まみれののトヨタが、寒々とした荒野を猛スピードで進んでいく。目的地はイラン北東部のマシュハドという街だ。

陽は傾き、辺りはピンクがかった赤紫に染まっていった。道路の脇には何台も車が止まっている。

見渡すと、大勢の人が砂の上に広げた布に座り、同じ方向に向かって頭を下げていた。膝をついて背中を丸めたその姿は修行者のようなひたむきさを感じさせる。

「今日は特別な日ではないし、彼らは特別な人ではないよ。祈りは、イランの日常だ」

ドライバーは、そういって車を走らせた。イスラム世界への入り口はとても美しいものだった。

 

聖地の光景

マシュハドついたのは午前9時。数字さえもペルシャ文字で表示された市バスを何度も乗り間違え、最後は英語を話す青年に、宿まで車で乗せていってもらった。

VALI’S NON SMOKING HOMEというタバコ嫌いのおじさんが経営する宿で、先客にトルコ人の男性と日本人の女性が泊まっていた。日本人はもちろん旅行者に会うこと自体が久しぶりだったこともあり、珍しく自分から話しかけたのを覚えている。

彼らの話によると、マシュハドはイランで一番の聖地らしく、宿から歩いて30分の場所にイマーム・レザー廟という特別な場所があり、24時間開いているから今から行かないかと誘われた。

イマーム・レザーとは1000年以上前に殉職したシーア派の英雄で、彼を祀った霊廟をイラン各地から巡礼者が訪れるんだという。トルクメニスタンからの移動疲れはあったものの、ペルシャ語を話せる彼女がいるのは心強かったので一緒に行くことにした。

廟内はカメラの持込み禁止。入場前のにボディチェックは、イスラム圏らしく男女別々の入口だった。僕とトルコ人は何の問題もなく入ることが出来たが、もう一人の日本人女性が出て来ない。何やら問題があったらしく追い返されたようだ。

仕方なくトルコ人と二人で中に入った。彼は本当によく喋る男だった。トルコ人はおしゃべりだと聞いていたが、噂に違わずひたすら喋り続ける。そんな彼も、中に入ると静かになり、神妙な顔をしていた。

廟内の壁は全面がモザイク状の鏡になっていて、シャンデリアの光が乱反射し、うるさいくらいキラキラしている。中央の部屋には棺のようなものがあり、それに触れたいのか、何十人も人が群がるように集まっていた。彼らは皆、顔をクシャクシャにして泣いていた。1000年以上前に亡くなった人を想い、鳴咽をあげながら涙を流しているのだ。おそらくほとんどの日本人には理解できない感情を、彼らは持っている。

ふと隣にいるトルコ人の顔を見ると、彼もやはり涙を流していた。聖地はどこまでも不思議で、特別な空気をまとった場所だった。


ヴィンセントとメヴラーナ

コンヤに向かった日のことは、個人的な理由で忘れがたい。

その日は僕の大好きなミュージシャン、ヴィンセント・ギャロが来日し、ブルーノートでライブをする日だったのだ。彼の歌声、演奏を生で聴けるなんて夢のようだ。外国を旅することとは別の魅力があり、まさか自分が日本を離れている間に来日するなんて思ってもみないことだった。このときほど旅をしていてもどかしい思いをしたことはなかった。帰国するという選択も考えたけれど、金銭的、日程的な理由で諦めるしかなかった。

コンヤという街が目的地だったのにはそれなりに理由があった。ヴィンセント・ギャロのライブと天秤にかけたわけではないけれど、メヴラーナ教団のセマー(旋舞)を見たかったのだ。

セマーとは彼らが行う儀式のひとつ。はじめにクドウム(打楽器)、ネイ(たて笛)、レバーブ(弦楽器)といった楽器、そして吟詠の、歌による祈りがはじまり、セーマーゼン(踊り手)が演奏に合わせて舞いはじめる。胸の上で、両腕をクロスさせながら、ゆっくりと旋回を開始。腕は、一旦腰の辺りまで降ろされ、ゆっくりと胸や顔をなでるようにした後、右手の平を上向き、左手の平は下に向けて広げ、旋回を繰り返す。特徴的なスカートのような衣装は、舞いにあわせて波打つように広がり、淀みなく滑るように移動していく。

一時間ほど同じ動き繰り返す間、セマーゼンは常に腕を上げた姿勢をつづけていた。衣装を着ていてもわかるほど膨らんだ背中や肩の筋肉をみれば、彼らの動きがしなやかなだけでなく、力強さを持っていることがわかる。

夢中になっていた。目の前で行われる舞いの美しさに、目も心も奪われてしまい、約一時間のセマーはあっというまに終わってしまった。

会場をあとにするとき、広場に各国の言語でメヴラーナの言葉が記されたモニュメントをみつけた。"心のままにあれ、さもなくば、あるがままの心をもて"

今回、ヴィンセント・ギャロのライブに行きたいという気持ちに正直であることは出来なかった。状況によっては「心のままにある」ことは難しい。それに、そのお陰で別の価値あるものを見ることが出来たのも事実だ。じゃあ、「あるがままの心を持て」とはどういう意味なんだろう。

コンヤでは色々と考えることが多かった。数日しか滞在していないのに、とても思い出深い街。

 

ロマンチック・イスタンブール

外国では、人の目を気にせずに街中でキスをする人たちがいる。それはもう、沢山いる。

イランという厳しいイスラム社会の国から、宗教的に少しゆるいトルコに来たことで、恋人たちのイチャイチャっぷりもまた、リベラルな空気を醸し出してきた。正直、男ひとりで旅する僕にとっては目の毒だ。電車を待って並んでいるすぐ隣でブチュ~~っと長いことされていてはたまらない。

「ムカーッ!他所でやれ!」と思ったりしてしまうこともあるけれど、世の中の恋人たちにとって、何処にいても愛を表現し合えるのは素敵なことだとも思う。そういう意味でイスタンブールは、恋人たちのにとってメッカのような場所だったように感じる。イスタンブールはとにかく、ロマンチックな街だから。

フェリーから眺めるガラタ塔は、夕日に染まって妖艶に揺らめき、ブルーモスクはその美しいシルエットを浮かび上がらせていった。日中、ひと混みで歩きにくかった旧市街も、夜が深まるにつれ静かで穏やかな街に変わっていく。海岸で黄昏る恋人たち。バラを売るジプシー。彼らを眺めるのは海に佇む乙女の塔。どこもかしこも、なにもかもが、恋人達を祝福しているかのようだった。

この街には様々な旅人が訪れる。人種も国籍も宗教も一様じゃない。休暇で訪れるヨーロピアン。アフリカから中東を抜け、出稼ぎにくる労働者。遠く東アジアからやってきた旅人。他にもたくさん、数えきれない旅が交差する。

イスタンブールの恋物語は、何百年も前から続いてきたのだ。もしかしたら、世界で最も多様な恋をみてきた場所なんじゃないだろうか。そうだとすれば、この街がロマンチックでないはずがない。イスタンブールは恋の街。今宵ははたして、何人の恋人達がこの街でキスをするのだろう。

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