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世界一周旅行記のまとめ丨中国・チベット編

この記事は、2011〜2013年に海外をフラフラと旅をしていたときの日記と写真を、ムック風にまとめたものです。

2013年に旅を終え、この旅行記を書き終えたのが2014年。そしてブログに再アップしている現在は2019年を間近にしている。年月の過ぎるはやさにびっくりする。

さて、今も海外にいるけれど、旅と生活って全然違う。旅には旅の、生活には生活のワクワクとドキドキがあることがわかった。

これからも旅を楽しみ、生活を楽しみ、人生を楽しみたい。

お久しぶり、中国

中国に戻ってきた。

自分の国でもないのに戻ってきたという言い方は適切ではないかもしれないけど、ラオスとの国境を越えた瞬間、そう思った。

中国の空気がなつかしかった。大好きな中国をまた旅できるということにウキウキしながら、大なり小なり絶対についてまわるトラブルを想像し、気を引き締める。

旅のはじめに訪れたときと比べると心境は少し違うし、中国もきっと変わっているはず。2013年の中国は、果たしてどんな姿をみせてくれるんだろう。

まずは昆明行きの寝台バスの切符を買った。2年前にも通った、勝手知ったるルートだ。

昆明着は明日の昼過ぎ。出発前に何かおなかにいれておこう。肉餞でも買おうか、それとも食堂で食べようか。漢字で書かれた懐かしいメニューをながめ、財布にはいっている人民元の枚数を数える。机におかれた西紅柿炒蛋(トマトと卵の炒め物)の匂いはまぎれもなく中国の匂いだった。

なにもかもを楽しめる気がしていた。お久しぶり、中国。

電車やバスで旅をして、車窓から景色を眺めていると、ときおり素敵な景色に出会う。

ほんの一瞬姿を見せては流れていってしまう魅力的な村や集落たち。そこで暮らす人たちは、いったいどんな生活をしてるいんだろう?桃源郷に憧れるような気持ちで、車窓を眺めていた。

そんな好奇心を満たすため、小さな村を巡ることにした。大きな大きな中国の、小さな村を巡る旅。

 

雨と鼓楼と風雨橋

屋根のついた橋があると聞いて訪ねた程陽の村々。この辺りは年間を通して雨が多く、橋の耐久性を高めるために屋根のついた橋が建てられるようになったそうだ。何重にも重なった屋根を持つ鼓楼と共に、建築的な面白さから注目され、観光資源にもなっている。

この辺りで一番大きく立派な風雨橋は入場料が必要で、その近くではお土産に民芸品を売っている人もいる。しかしなんだかんだいって、ここは中国だ。

村のはずれの小さな風雨橋や鼓楼では、ポータブルDVDプレイヤーを持ち込んで映画をみるおばあさんや、お茶を飲みながらカードゲームに興じるおじいさん。仕事のあいまに昼寝をしているおじさんなど、村人達の憩いの場となっていた。

中国ではどこでも見かける光景。それは観光地だろうと関係ない、どんな場所でも中国人にかかれば、たちまちこういう”場”に変わってしまうのだ。

ふと思った。今まで色んな場所で見てきたこの光景こそ、中国という国の原風景なのではないだろうか。なんというか、中国らしさみたいなものだろうか。何度王朝がかわり、どれだけ国が栄え発展してもこの光景がある限り、中国は中国であり続ける。

そんなことを考えていると、雨が降ってきた。おばあさんは気にせず映画を見続けている。僕の感慨なんてどこ吹く風、程陽の日常はいつもどうりに過ぎていく。

 

洞窟に住む人々

その存在は友人から聞いていたし、写真も見たことがある。しかし実際に中洞の姿が見えてくると、それだけでワクワクしてくるような、妙に魅力のある場所だった。それは思ったよりも長い距離を歩き、途中で大雨に降られ、ようやく辿り着いたからなのかもしれないけれど。

到着後すぐ、入り口近くの民家に宿泊させてもらった。とにかく寒くて、早く着替えたかった。

わかっていたが、案の定シャワーはなかった。晩ご飯はトマトと卵の炒め物。これは中国ではポピュラーな料理だけど、お米の種類がもち米のような食感で、タイやラオスで食べられているカオニャオに近い。

そういえば、家族の中で中国語の普通話を話すのは父親だけ。子ども達やお母さんは、ニャムニャムとタイ語のような言葉を話していた。中洞で暮らしているのは苗族という少数民族。漢族とはだいぶ文化が違うようだ。

洞窟という場所の持つ雰囲気もあってか、生活感、というより現実感のない不思議な場所だった。

洞窟内の56軒の民家には、その全てに人が住んでるわけではないようだ。中央にはバスケットコートがある。けれど、こちらも使われているようには見えない。家畜のニワトリが歩き回っているだけで、外に出ている人は誰もいない。

なんだか夢の中をさまよっているようだった。雨音だけが洞窟内に響き、外の景色は白く霞んでいた。

 

キリスト教の村?

インターネットで中国の情報を調べていると、貴州省に新馳というキリスト教の村があることがわかった。

これは面白そうだと思い、ローカルバスを乗り継いで、山道を何キロも歩き、期待に胸を躍らせながら向かった。歴史的にも中国に渡った宣教師はたくさんいるみたいだし、西洋風の建物なんかがあるかもしれない、トンガリ屋根の教会があったり、ひょっとしたら西洋人との混血もいたりして?

ところが、ネット情報というのは当てにならないもので、現実の新馳は、とりたてて特徴のない山奥の偏僻な村。かろうじてキリスト教らしさを感じるものは、十字架にかけられたキリストの絵が描かれたチラシのようなものが、民家に壁に貼られているくらいのものだった。

結構な距離を歩いてヘトヘ卜だったが、あいにく新馳に宿はない。食堂すらなく、どうにもお腹がすいて民家に食べ物をめぐんでもらうことにした。

最初に目についた家をたずね、カタコトの中国語と筆談で事情を説明すると、食事どころかベッドまで用意してくれる至れり尽くせりな対応。リーベンレン(日本人)をはじめて見るというホァツエは、村の周りを案内してくれたりターファ・ミャオ族の民族衣装まで藩てみせてくれた。

山奥の村でこんな熱烈歓迎を受けるとは。想像していたキリスト教の村のとは全く違ったものの、ここが求めていた桃源郷なのか?そんな風に思えるほど、素敵な村と村人達だった。

 

チベット仏教×科学

いまさら僕が言うまでもなく、チベットは魅力的な場所です。もう、魅力的なものでいっぱいなのだ。

どこまでも広がる青い空。風にたなびくタルチョ。読み方のさっぱりわからないチベット文字は、異国情緒を醸し出していた。浅黒い肌に纏う民族衣装は、男も女も派手で、でもどこか凛々しく格好いい。

そして、宗教。

空気があるのが当たり前なように、チベットにはチベット仏教がある。彼の地を旅してそれに触れずにいることは出来ないのだ。

東チベットを旅しているときに、「チベット生と死の書」※1という本を読んだ。内容はタイトルの通り、チベット仏教の死生観を多様な角度から解説してあるんだけど、特に興味を惹かれたのはチベット仏教と科学についてのお話。

なんでもチベット仏教は「科学的な宗教」といわれていて、医療、特に脳の分野で科学的に分析されているらしい。「悟り」や「解脱」なんていう言葉。とても宗教的で馴染みがなく、人によっては敬遠しがちな言葉だと思う。

ところが、この「悟り」と「解脱」についても科学的に調査されている。テレビで見たことがある人もいると思うけど、事故や病気で臨死体験をした人は死後の世界について似たようなイメージを語ることが多い。すでに亡くなった家族や友人と会ったり、光に包まれていく感覚になったり。

そして面白いことに臨死体験者のほとんどが、以前とは性格が変わって人や動物、植物、その他すべてに対して優しく接するようなるのだという。彼ら日く、自分とその他のものに対する境界線がなくなって、自分に優しくするように他者にも優しくするようになった、というのだ。

この考え方は厳しい修行で悟りを得た人ととても似ている。それに臨死体験者のみた死後の世界のイメージは、生と死(生者と死者)が別世界でないこと、つまり輪廻という考えに近い。

更に興味深いのは、近年死の間際から生き返る人が増えているということ。

これは医療の発達によるものだ。ということはつまり、このまま医療が発達し続ければ、科学の力ですべての人が「悟り」に近い境地に達することが不可能ではない、ということ。

すべての人が、すべての人に、人だけじゃなく、この世のすべてに、優しく接することの出来る未来があるかもしれないのだ。

超宗教的で、超科学的、そしてオカルトも混ざったような得体の知れないお話。でもちょっと希望のある、チベット仏教と科学のお話。

1「チベット死者の書」というチベット語の原典をソギャル・リンポチェという高僧が西洋人にも理解しやすいように書き直した本を和訳したものです。チベット仏教に関する知識がなくても読める内容。興味のある人は是非。


セルタの街から乗り合いバンで30分ほど走る。

白く大きな仏塔群を通り抜けると、そこは別世界。いや、異世界が広がっていた。

濃い赤紫に灰色を混ぜたような色。チベットカラーのバラックが山の斜面を埋め尽くしている。同色の袈裟を着た僧侶がいたるところに、ところ狭しと歩き回っている。一日中間断なく、どこにいても、スピーカーからお経が流れてくる。ラルン・ガル・ゴンパ。カリスマ的人気を誇る高僧の元で修行をしようと、各地から僧侶が集まったことで出来た巨大な仏教コミュニティ。いわゆる街や村といったカテゴリーに分類出来ない特殊な場所。

坂道を駆け上がるにつれ、景色も、音も、空気も変わっていった。

 

再見、中国

「どの国がよかった?」と、よく聞かれる。

一番を決めるのは難しいし、順位をつけるのものではないと思っているけど、この質問にはいつも、「中国です」と、答えている。

実は自分でも、好きな理由がはっきりしているわけじゃない。その国土の広さから面白いものをたくさん見ることができたからなのか。食べ物がことごとくおいしかったからなのか。合計して6ヶ月以上と、長く滞在したからなのかもしれない。中国の人たちには本当にお世話になったし、いい出会いもたくさんあった。腹のたつことも数えきれないくらいあるけど、それも‘‘よかったと思う理由だったりする。

広い広い中国を、限られた時間の中で回った。行けなかった場所や、見ていないものだらけ。旅そのものには、満足なんて到底できない。おそらく旅っていうのは100%の満足が得られるものではないように思う。

ただ、納得はできている。はっきりとそう思える理由は、今回の中国の旅の大きな目的だった友達との再会が果たせたことだと思う。

訪ねたところで、わざわざ時間をさいて会ってくれるだろうか?会えたとして、ちゃんと話すことができるだろうか?そんな僕の心配をよそに、彼らは「熱烈歓迎」で再会を喜んでくれた。「朋有り、遠方より来る。亦た楽しからずや。」こんなふうに思ってくれるのが中国人のいいところで、僕が中国を好きだという、大きな理由のひとつなのだと思う。

◇◆◇

中国はかわっていく。途上の国だ。

2011年、はじめて乗った中国鉄道。車内の床はヒマワリの種で埋めつくされ、痰をそのまま吐き捨てていた。当時受けたカルチャーショックのひとつだ。

ところが2013年の中国鉄道では、そういう状態をほとんど見かけなかった。たったの二年で中国は変化してしまった。トイレにはよく、『向前ー小歩、文明ー大歩』という紙が貼られている。臭い汚いで有名な中国のトイレも、すぐに昔話になってしまうことだろう。

激動の中国。これからだって、良くも悪くも変わり続けることだろう。そんな国で、僕が見ることのできた景色、会ってくれた人々。愛おしくてたまらない。マイディアチャイナを巡る旅、おしまい。

さようなら、またいつか、中国。

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