バンフに戻って5日がたち、いつの間にか1月が終わって2月になっていました。
2月といえば、思い出すのは僕の誕生日・・ではなく、漫画家谷口ジロー先生の命日(2017年2月11日)です。自分の誕生日の前日だったこともあって記憶に残っています。30歳になった感慨よりも、「谷口先生の新作、もう読めないのか・・」という喪失感の方が大きかった気がする。
谷口ジローの漫画を知っている人ってどれくらいいるんだろう。漫画好きを自称する人ならばきっと知っていると思う。一般的には知らない人の方が多いんだろうか。
孤独のグルメの作画を担当している人と言えばわかる人もいるかもしれない。ドラマ化されたこともあって、谷口ジローではもっとも認知度が高いはず。中年男がメシを食うだけの内容なのに、クセになる面白さがあり、何度も読み返してしまう。そんな不思議な魅力を持った漫画を描く人なのだ。
狼王ロボ
谷口ジローの漫画はどれを読んでも外れがないけれど、一番読み返した回数が多いのが「シートン〜旅するナチュラリスト〜」シリーズの第一章「狼王ロボ」だ。
物語の舞台は、1893年ニューメキシコ州カランポー高原。家畜を襲って食糧とするオオカミの群れと、彼らを捕まえようとする人間の戦いを描いた物語。
この漫画の面白さは、大きく分けて3つあると思う。
[aside type=”boader”]- オオカミの身体、表情の描き分け
- ロボが抱くブランカへの愛
- シートンの葛藤[/aside]
オオカミの身体、表情の描き分け
とにもかくにも、谷口ジローの画力がすごい。
作家の夢枕獏は、
プロボクサー、アマレスラー、プロレスラーの肉体の違いを描き分けられる稀有な作家
であると評しているが、本作で谷口ジローは、雄オオカミと雌オオカミの微妙な違いを描き分けている。ロボは雄だとわかるし、その連れ合いであるブランカは明らかに雌だと読者は理解できる。
これって凄いことだ。
現実に存在する犬の雄雌を区別するのだって簡単じゃない。(ちんちんの有無を確認したらわかるけれど。)性格や挙動をよーく観察して、なんとなく判断することしか出来ないのに、それを漫画で表現しているのだから。
ロボが抱くブランカへの愛
作中、ロボは喋りません。
動物なんだから喋らないのは当たり前だけど、これは漫画なのだから、吹き出しをつけて動物に喋らせるとこは可能です。しかしこの物語は、シートンの視点とロボに対する想像力だけでストーリーが展開する。
谷口ジローは、ロボの行動と表情だけでブランカへの愛を表現するのです。動物を擬人化せずに、それでも愛を描ききっている。
これがもう、泣けるのです。
シートンの葛藤
作中、シートンは誰よりも優秀な狼ハンターとして描かれている。あらゆる手をつくしロボに罠をしかけるが、どんな手もロボには通用しない。追い詰められたシートンは、最後の手段としてとても残酷な罠を仕掛けることになるのだが、そこにシートンの葛藤がある。
ロボは今まで出会った中で最も偉大なオオカミだ。ハンターとしての自分は、ロボを捕まえることに高揚を覚えている。しかし、彼を捕まえることは、果たして正しいことなのだろうか。人間が手段を選ばずに自然を征服することに嫌悪感を抱いていたのではなかったのか・・。
谷口ジローは、単行本一巻分の内容とは思えないほど濃厚に「人間」を描いている。
ぼくが出会ったオオカミ
2016年、カナダ先住民デネ族の村に滞在していたときに、一頭のオオカミと出会った。正確にいうとオオカミと橇犬(そりいぬ)のハーフ。名前をジャックという。
村にある犬舎に忍び込んだ野生のオオカミと橇犬のメスが交尾して生まれたのがジャックだ。こういうことはたまにあるらしい。先住民の犬橇師ロジャー曰く、「オオカミと犬のハーフは良い橇犬になる」という。
実際、オオカミ犬ジャックは、他の橇犬とはまったく違った。
30頭以上いる橇犬たちは、すぐ僕になついてくれて、エサを与えに犬舎を訪れると大喜びで吠えまくり、尻尾を振ってくれた。ジャックはというと、一頭だけ少し離れた場所に繋がれており、僕に対してほとんど興味をしめさない。
エサを持っていっても、他の犬のように「ちょうだい!ちょうだい!」と跳ね回ることはせず、「そこに肉を置いてさっさと離れろ」と言わんばかりにこちらを見ている。
「オオカミ犬はプライドが高いから簡単には懐かない。そのかわり、主人と認めれば忠誠心は犬とは比べ物にならないんだ」とロジャー。
忠誠心だけじゃなく、パワー、持久力、知能など、どれをとっても犬よりも優れているのだという。
生まれたときから人間に育てられても、オオカミの野生性を強く残しているジャック。僕はこのとき、狼王ロボを思い出し、物語に出てくるオオカミたちの賢さや誇り高さに、少しだけ触れることができた気がしたのです。